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駅と駅舎を巡る鉄道の旅
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三津駅
三津駅
みつ
路線名
伊予鉄道 高浜線
所在地
愛媛県松山市
開業日
1888(明治21)年10月28日
訪問日:2005/07/23
大迫力の木造駅舎である。これほどまでに使い込まれた現役の木造駅舎を他に知らない。背後に無粋なビルなどがないことも駅舎の存在感をいっそう際立たせている。建築は昭和初期(というのが専らの説)というからそれほど古いわけではないが、その風貌が古さを強調して見せる。駅前を埋めつくす自転車の数からして、利用客はかなり多いようだ。
駅の開業は明治21年で、四国では最初にできた駅の一つとされる。その頃、東京駅はまだ影も形もなく、山手線は開通したばかり、中央本線はまだ工事中である。それほど早くここに鉄道が敷かれ駅ができたのは、ほど近い三津浜港が四国西部の玄関口として重要だったからだろう。
よく見ればデザインも個性的である。入口の庇の上にある窓ガラスは、かつてはステンドグラスだったそうだ。
ところで、明治28年に松山の尋常中学校に赴任してきた夏目漱石が三津浜港から四国に上陸し、最初に汽車へ乗ったのがこの三津駅だった。小説「坊っちゃん」には、その時の様子がこう描かれている。
『停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。』
※1
自販機の横には、閉鎖された部分がある。売店か、臨時の切符売場か。いずれにせよ、こうして近付いてみると老朽化は相当なもので、よくぞ今まで残ったものだと思う。残念だがこの駅舎も改築される時が近いようだ。しかし愛着のあるこの駅舎を保存しようという住民運動もあるというから、うれしくなってしまう。
がらんとした待合室。これまた相当に使い込まれた床が、長い年月を物語る。木枠の窓ガラスは、風が吹くたびにがたぴしと音をたてる。暑い日だったが、心地よい風が通り抜けていた。
さすがに漱石が乗ったマッチ箱の客車も汽車も走っていないが、この車両は25年ほど前まで東京の京王帝都電鉄で使われていた車両である。古い木造駅舎に払い下げ車両という組み合わせは、まさしく地方私鉄の真骨頂である。
駅のすぐ目の前にあるこのたばこ屋も相当に渋い。中にいたおばさんに話を聞いてみると、この店の建物は三津駅舎より古いのだという。店の屋根瓦が台風で飛んだこと、かつて駅舎の回りには藤棚があったこと、汽車が走っていたこと、それにステンドグラスのことなど、たくさん教えてくれた。
駅前の道路を横断して小さな橋を渡り、この細い路地をまっすぐ15分ほど歩けば、三津浜港である。通りは商店街になっている。のんびりと歩いて行くと、店先の簾の向こうからラジオの声が聞こえてくる。港が近付くと、歴史を感じさせる建物が数多く目につく。三津浜は古くから開けた港町だ。
瀬戸内海の対岸、山口県の柳井港とを結ぶフェリーが発着する。今でこそ大きな港だが、かつては大きな船は岸まで近づけず、艀(はしけ)に乗り換えていたという。そんな情景も「坊っちゃん」に描かれていた。
『ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。』
※1
※1
夏目漱石「坊っちゃん」(青空文庫)
より
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駅の開業は明治21年で、四国では最初にできた駅の一つとされる。その頃、東京駅はまだ影も形もなく、山手線は開通したばかり、中央本線はまだ工事中である。それほど早くここに鉄道が敷かれ駅ができたのは、ほど近い三津浜港が四国西部の玄関口として重要だったからだろう。